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2005年3月

ウォルト氏に乾杯

テレビに子守りをさせてはいけない、と最近よく耳にする。
確かに一点だけを見つめて口開けてたら
体と心の成長に悪いこともたくさんある。
私の両親は、私と弟を育てる際
「テレビは1日1時間」と厳しく言い続けていた。
だから私たち兄弟にとって新聞は裏面から見るもの。
テレビ欄とにらめっこしては計画を立て
いかに目を盗んでアニメを見るか、が日課になっていた。
まぁ、両親が「興味のないものは見ない」習慣の人だからこそ
実行できた教育だな、とは思うけれど
反動で私たちにとっては今も、
コンテンツに身を任せる時間が至福の時間なのだ。

前置きが長くなったけど。

ディズニーのビデオがうちにはいっぱいあった。
「ビデオ屋」から借りてきてはダビングして、
4~6時間全部ディズニーのビデオをいっぱい作ってもらった。
(なんか矛盾した教育のような気がするけど)
日本語吹き替えの台詞と、音楽と歌の競演は
今も私を魅了してやまない。
だから私はミュージカルに心惹かれ、歌に陶酔してしまうのだ。

今日、「ダンボ」を久々に見てて
今だからわかったことがたくさんあった。
例えば声優さん。
「サーカスの団長」が「ピーターパン」の「パパ」で
「ティモシー」が「スミー君」だ、とか。
ダンボとジャンボ(ダンボママ)は一言も喋らない、とか。

丁寧に丁寧に作られた、昔のディズニー作品は
私の礎になっている。
子育てって、気を遣い始めたらきりがないのね。

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もやもや

ここのところ、なんだか色々なことがあったのに
あまり言葉にならなくて、歯痒い。
色々ありすぎて、何をテーマにしたらわからないみたい。

枠の中だからこそ見える一面と
外に出たから見える一面と
どちらが正しいかなんてわからないけど
どちらも見られる人でありたい

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お彼岸

辞書を引いても、何でお墓参りをする日なのかわからなかった。
でも、この時期にたまたま里帰りをすることになって
お墓行かなきゃ!って当然のように思ったので
慣習とか文化ってそんなものなのかな、と思った。

理由を突き詰めずとも、そこにあるもの
属しているもの
染み付いているもの

新富士の駅を通過するなら富士山を見たいと
切望してしまうのもそんな理由だろう


田舎、は私にとっては静岡

自分のルーツがそこにあるとわかってるのに
お客さん気分にしかなれない場所
でも
父も母も祖父も祖母も叔父も叔母も、
帰ってきた、と心のどこかが安らいで
自分らしくいられる場所

私もあの街が好きなのに
食べ物も空気も好きなのに
なんで、
故里って呼べないんだろう。

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「きみに読む物語」~コンテンツとは?

ひとかたまりの情報として、誰かに届けるもの
それが、コンテンツ。
手紙でもメールでも、詩でも絵でも小説でも映像でも
何でもいい。
ひとまとまりになった、何かの情報
そして、メッセージ

商業的に成功するには、刺激的であったり感動的であったり
たくさんの人に価値を認めてもらわなければならない
そのために、化学調味料を加えたりおふくろの味を目指したり
いろんな策略を練るんだけど
誰にでも届くメッセージなんて
メッセージと言えるのかな。
陳腐で他愛無くて価値がないもの、にならないのかな。

もちろん、癒しとか平和とか優しさとか大事にするとか
当たり前で、でもいつもは感じられないものを
コンテンツで味わって、心を改めたり洗ったり
そんな作業には意味があるけれど
発する側としては、世界中の人にわかってもらうため、なんて
ほんとは思ってないんじゃないかな。

発する今はわかっているけど、発する前はわかってなかった
そんな自分に、届けたいんじゃないかな。

万人に分かることは、本当なら知らせる必要はない
万人に分かっていて欲しいけど、自分は分かってなかったこと
それを反省と共に、他の人に伝えようとするんじゃないかな

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「きみに読む物語」~愛とは?

絶対観る!ではなく観たいな。くらいの映画を
実際映画館で観ることはなかなかない。
更にそれが当たりであることは、もっとない。
オーソドックスでありながら、所々で予想を裏切る
匙加減が丁度良い、そんな作品でした。

「あなたの愛する人と見てください」というキャッチコピーでは
大分、観客動員数が減ってしまうと予想できるけれど
良い意味できっと正しいコピーだと保証できる

ハッピーエンドなんてものは、都合の良いお伽噺の中しかない
成就した恋のその先には、幸せな出来事だけではなく
苦しみも悲しみも安らぎも諦めも慰めも、時間の分だけ押し寄せる
もちろん共に生きると誓った相手との時間は
幸せを積み重ねるための時間、だと信じているけれど
「富める時も貧しき時も、健やかなる時も病める時も」
共に生きられると確信できる、か。
「愛」とは?
何だろうね。
それを語るにはまだまだ、私は足りなさすぎるけど。

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花花

花嫁、って良い言葉だね。
ドレスとかブーケとかそんな「もの」ではなく
今日の彼女の笑顔は「花」そのものでした。
いつも食卓に飾られているような
風景に溶け込んだ、それでいて視線の中心となる「花」
彼女は今日、そんな存在として、キラキラ輝いてました。
見ているこちらも幸せになる
そんなカップル、そんな会って、なかなかない。
おめでとう、そしてありがとう。

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うさぎさん

らら。
タバコとシャンプーの匂いのする女の子
いつも眠そうで、でもぐずらない
手のかからない、いい子
いい子だからあんまり構ってあげてこなかったけど
今日のあなたはとっても甘えん坊だったね。
私を抱きしめて離さない、その笑顔に


今日は保育園ラスト3日、の日でした。
去年の2月から週2ながら通いつづけた場所で
たくさんの雛たちと出会いました。

ショック、困惑、ジレンマ、諦観
そこには期待していたことも期待したくなかったことも
同じくらいにたくさんあったけど
それ以上にたくさんの無防備な笑顔に
たくさん力をもらいました。
ありがとう。

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生息域、もしくは行動範囲

家を出た瞬間から
横浜まで、20分。
渋谷まで、40分。
新宿まで、50分。
銀座まで、60分。
町田も藤沢も池袋も吉祥寺も品川も
60分(予定)。
程よく不便なところに住んでる、と思う。
高校時代は四ツ谷だったし、この前まで田町だったし
60分以内の移動は特に苦にはならない。
幸か不幸か。

慣れてはいるけど、やはり電車は好きではない。
東急はいいけど、それ以外の電車は疲弊度が大分高い。
動く水槽の中で、赤の他人と共生する。
誰かが吸った息を誰かがまた吸う…って考えると、、って!
考えちゃいけない。考えたらもう乗れなくなってしまう。
花粉症のせいにして、マスクをしたまま乗りたくなってしまう。

で。

共に生きるって、その空気を吸えるってことだと思う。
よく、生理的嫌悪感っていうけど、理不尽なようで必要な感覚だと思う。
その人が透明ビニール袋に吹き込んだ息を、吸い込めるか。
……いや、家族でも嫌かも。。でも、可愛い可愛いあの2歳児ならいいな。
その人の全部を受容できるか。
肌触りとか匂いとか毛の具合とか
動物的な、感覚が、拒否しないか。
個性とか優しさとか価値観とか
もちろん、そんな具合の組み合わせも大事だし
そんな理性の判断が、動物としての感覚にGOサインを出す時もあるけど
でも、いくら理性がGOって言ったって、感覚がそれを許せなければ
同じ空間で生き続けることはできないんじゃないかな。


うーん。これって結構、問題発言?

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月暦

何年か越しに手に入れた
満ち欠け印のカレンダー
満ちていく三日月なのか、欠けていく半月なのか
欠けていく16日月なのか、満ちていく新月なのか
もう悩まなくてもわかる

でも

夜空を仰いで月を見つけることが
できない
三寒四温の日々に振り回されて
花粉の固まりみたいな雲に阻まれて
私はあの空の王子を
見つけられない

手足の筋を伸ばしきって
首も胸も背中もお腹も腿も膝も足首もつま先も
全部全部大きく、この空間を破って
ふと目を開けたら見えるのは、夜空を支配する光
そんな解放感と、そんな孤独に満たされて
他のことは全部忘れてしまいたい
何もいらない
何もいらないから、これ以上何も奪わないで

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